
西部秩父線に乗っていよいよ終着駅の西武秩父駅に到着すべく秩父盆地に電車が侵入していくと左手に大きな黒々とした山が迫ってきました。秩父の名峰、武甲山です。初めてこの山を目にしたのはもう半世紀以上も昔になる私が中学生の頃です。当時はまだそのどっしりとした山容がのぞめ、威圧的に秩父盆地を見下ろしていたのでした。
全山石灰岩ともいわれた武甲山は明治の頃より少しずつ採掘作業が始まり、昭和の高度成長期からは大規模化して現在に至っています。山の北面はほとんど削り取られ、本来の山頂も崩し壊されてしまいました。作業の妨げにならないよう標高を下げた新しい山頂が別の場所に設置されました。秩父に暮らす人々にとって毎日見上げた霊峰とも云える信仰の山は今は見る影もありません。幸いなことに南面は資源が乏しいということで開発を免れ、昔からの静かな参道 ( 登山道 )をたどり新しい山頂に達することができます。
SNSでは「かわいそうな山」として有名で、首都圏から手軽に登れる珍しくて面白そうな山として人気のようです。近隣の山に登れば遠くからでも必ず確認できた兜を伏せたような独特な山容を知らない今の人たちは、削り取られて三角になった武甲山をピラミダルでカッコイ岩山と考えているようです。秩父の産業を支え、社会に貢献してきた採掘開発ですが現代の自然保護理念から鑑みればとんでもない暴挙に違いありません。石灰岩土壌にしか見ることのできないめずらしい植生もありました。仮に採掘が百年遅れ今まさに開発が始まろうとしていれば想像もできなほどの大きな問題になっていたことでしょう。
武甲山は私がテントをかついで登り山頂で一夜を過ごした初めての山です。まだ開発が進んでいなかった北面の急登をまだ高校生の私が一人あえぎながら苦労して登りました。岩登りにも興味を持ち始めた頃で、緑の斜面に露出した石灰岩の岩壁を興味深く眺めていたことも思い起こします。その後、何回も採掘が進む武甲山を眺め、自分が老人になる頃にはもう無くなってしまうだろうと考えていました。幸いにもまだそれなりに山として存在していて昔ながらの登山道も残されています。「かわいそうな山」になってしまいましたが、これからもそれなりに多くの人たちに楽しい山の思い出を与え続けてくれることでしょう。
*表題写真は72年11月早朝、武甲山山頂から撮影した秩父盆地の様子です。
*同じような運命をたどったこの山も以前とりあげました。