
夏がいちばん楽しいのは何といっても沢登りですよね。水量が減少する秋が沢登りに最適だという意見も多いのですが、クソ暑い都会を抜け出し滝を登ったり釜を泳いだりするのはやはり夏が一番です。そして道のない沢をたどり山頂に至る登山スタイルは日本だけの楽しみ方です。
学生の頃、友人たちと黒部渓谷の上の廊下を遡行したことがあります。いよいよ本格的な遡行が始まって間もなく、先陣を切り徒渉していた友人が大岩を抱いたまま動けなくなってしまいました。水深は腰の高さを超え飛沫が胸辺りに達していました。経験の乏しい私は俺なら行けると一歩水流に足を入れた瞬間にあっという間に流されてしまったのでした。
無謀にも地下足袋や渓流靴 (当時はまだ一般的ではなかった) ではなく運動靴を履いていた私は水流で脱げそうな靴を必死でおさえ仰向けになりながら流されていきました。川岸を走り必死で私を追いかける友人たちの姿が見えます。3百メートルは流されたかもしれません。気がつけば浅瀬でとまり背中には大きな擦り傷ができてしまいました。
キャニオニングなら流されることも楽しみ方のひとつかもしれませんが、困難を克服して上流に向かうことはありません。大きな滝も懸垂下降で下りるだけです。下山道のない山では沢を登って沢を下ることもありますが本来の目的は頂上に至ることです。次々と現れる滝や曲がりくねった峡谷の向こうに展開する新しい景色、直登するか高巻くかの決断などルートファインディングの楽しみも尽きません。
もともと沢登りは藪だらけで道も付けられない深山の山頂に至るための手段です。そして人が入ったことない渓谷を困難を克服して遡上する大冒険です。先人の記録があったとしても誰でも何時でも初遡行の感動が楽しめるのです。雪と氷の岩稜を登る本格的な登山に比べれば何とも地味で泥臭いのですが、そこには確かにアルピニズムのスピリットが隠れているようです。ちなみに上の廊下で擦りむいた背中の傷は山行中に化膿してしまったのですが不思議と辛い記憶は全く残っていないのです。夏はやっぱり沢登りです。