上高地から穂高岳を目指し、横尾を過ぎていよいよ涸沢への本格的な登りに差し掛かる頃、左手に大きな岩山が見えてきます。屏風岩です。穂高岳周辺では滝谷、奥又白とならぶ日本を代表する本格的な岩場です。スポーツクライミングやジムクライミングが一般的ではなかった数十年前、岩登りを志す岳人たちの憧れの壁でした。
屏風岩はツルツルの一枚岩で、多くのルートは連打された埋め込みボルトにアブミ(小型ハシゴ)をかけ替えて登る人口登攀が主体です。今では道具や技術が発達してどんなに厳しくでも実際に岩をつかんで登るフリークライミングが一般的ですが、当時は困難なルートといえば人口登攀でした。安直なアブミのかけ替えで登るスタイルですが、写真の東稜ルートは高度感も素晴らしく垂直のスラブを楽しく登れたことを覚えています。
屏風岩には雲稜ルートという人気ルートもあって、近年になってフリーでも登られています。このルートも核心部はアブミのかけ替えで登る人口登攀です。初登から何十年も経った今でも連打されたボルトは初登時のままのようです。私が登った時も、誰かが堕ちてアブミをかけるリングが伸び切ってしまったもの、リングが完全に抜け落ちてテントの細引きのようなものが結びつけられたものなど、なかなかスリリングでした。古い細引きなどは新しい物に付け替えれば良いのに、それが面倒。体重を乗せるとじんわりとゴム輪のように伸びて怖い思いをしたものでした。ところが東稜ルートのボルトはそこまでひどくはなく、人口登攀の緊張を快適に味わうことができたのでした。
当時、岩登りは手ごろな近場の小さな岩場で基礎練習をこなし、北アルプスや谷川岳のアルパインルートを目指すというのが一般的でした。本番のクライミングは「ホンチャン」などと呼ばれ、究極は厳冬期の岩場をつなぐ継続登攀でした。天候の急変や落石など危険度が高いのがホンチャンクライミングです。とはいえ、体力や神経を使い切るクライミングだから達成感や満足度も充実しています。人口登攀でもその醍醐味は今でも変わりません。