アウトドアジジ

2分で読める? アウトドアのアクティビティ、道具、自然に関するブログです。

登山家植村直己の青春

青春の証



若い時の苦労は金を払ってでも経験しろとはよくいわれることです。ところが一生を通じて没頭することがまだ見つからない多くの若者たちにとって目的のない苦労は正に苦痛そのものです。山に没頭することで如何なる苦労をもろともせずに偉大な記録を次々と築き上げた登山家、植村直己氏の著書「青春を山に賭けて」を再読しました。改めて青春の素晴らしさ、彼の人間性に感銘したのでした。

 

植村氏の偉業は今の若い人たちにはあまり知られていないかもしれませんが、私が山歩きや登山を始めた時はすでに羨望の英雄でした。大学時代の岳友はどういう経路か植村氏の名前の入ったザックを譲り受けていて、山道具屋などでたむろしていると「あっ、植村さんだ。でもあんな顔だったけ?」などと噂されていました。植村氏はテレビなどにも時々出演しその偉業が広く知れわたっていたのでした。

 

植村氏の青春時代はまさに自己嫌悪と劣等感に支配され、日本社会の抑圧につぶされそうになっていたことがその著書から読み取れます。学友の多くが就職し社会人として自立していく中、彼はひとり世捨て人となって持ち金もなく海外に旅立っていくのでした。当時、海外旅行はまだまだ一般的ではなく、円安の今よりもはるかに安い1ドル360円の固定相場、乗り込んだのも飛行機ではなくロサンゼルス行の移民船でした。アメリカで強いドルをたくさん稼いでアルプスの山を登るのが目的です。言葉もできなければ知人もいないアメリカで不法労働を始めるのでした。

 

移民局の厳しい取り締まりに怯えながら重労働の農作業、ようやくフランスへ渡ったものもモンブランの登頂に失敗。クレバスにはまって死にかけていっそう山への闘志が強く湧き上がってきたのでした。その後、青春時代最大の理解者に巡り合いスキー場での仕事につき、精一杯に働き五大陸の最高峰を極め、極地横断など偉業に挑戦していくことになるのです。

 

植村氏の青春時代の苦労は燃え上がる山への思いがあったからこそなのですが、言葉や文化、経済的困難の克服はただそれだけで容易に解決されるものではありません。自分が今できることを完全に力を出し切って実践実行する。人の好意を素直に受け入れてその恩を忘れずに深く感謝する。さらに自分自身がどういう人間であるかをはっきりと理解しているからこそなのです。著書「青春を山に賭けて」には苦難の中で巡り合って手を指し伸ばしてくれた人たちへの感謝の思いがたくさん綴られています。

 

今なら五大陸の最高峰登頂なんて金と暇があればガイド登山で誰でもできるかもしれません。海外に渡るとこさえ困難だった植村氏の青春時代、GPSもなければゴアテックスもありません。金もなければスポンサーもいません。苦労を惜しまず勤勉で、感謝の気持ちを忘れることのないひたむきな性格、それが良い理解者との数々の出会いを導き夢の実現へと繋がっていきました。限りない可能性を誰もが持つ青春時代ですが、人生が終わりかけてしまっている自分には迂闊にも「まだひょっととしたら」という勇気を少し感じてしまったのでした。

 

* 植村直己は一般に冒険家と認識されていますが、彼の基盤はやはり登山にあると考えます。偉大な登山家であればこその様々な偉業の達成です。