アウトドアジジ

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山道具屋のがんこおやじ

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テレマークスキー伝道師


先日、テレマークスキー山スキーの発展と普及に多大な貢献をしてきた北田啓郎さんがお亡くなりになりました。山スキー登山中の体調急変によるものです。心からご冥福をお祈りいたします。北田さんはテレマークとクライミング専門店の目白カラファテ創業以来の社長さんで、古くは名店、銀座好日山荘の店長さんも務めていました。若者から年配者まで山好きの人なら一度はお名前を耳にしたり、著書を読んだり、実際にお会いしたことがある人も多いことと思われます。

 

昔は山道具のお店といえば狭い店内に商品が無造作に並べられ、不愛想ながんこおやじが店の奥の小さな机に陣取り、客が来ても挨拶しない、いろいろ質問しても自分の主張を押し付けてくるような難しい雰囲気なのが当たり前でした。ところが北田さんがいた銀座好日山荘は銀座という土地柄もあってか何か垢抜けしたハイカラな空気が漂っていたのでした。今思えば、土地柄というよりはやはり北田さんのインテリジェンスと優しい性格が銀座のお店の雰囲気をつくり上げていたようで、それはテレマークとクライミングの専門店カラファテへと引き継がれていったのでした。(閉店した老舗の銀座好日山荘と現在全国展開している好日山荘とは別会社で当初はサンコージツとかと呼ばれていたような気がします。当時、老舗銀座好日山荘は山岳雑誌などに広告を載せて関連のないことを主張していました)

 

その頃、アウトドアといえばほぼ登山のことでマーケットは小さく限られ、専門店は割引による価格競争にしのぎを削っていました。客は金のない学生か、生活に追われる安月給のサラリーマン、お店に行っていろいろ聞いて納得して購入するというよりはとにかく一円でも安い物を買いあさるというのが常識でした。豊富な経験や知識を活かし静かで丁寧な接客で対応するお店は少なかったようです。客も割引き目当てなのでサービスなどに期待はしません。現在ではお店で品定めをしてからネットで購入する人もかなり多いようですが、ネット通販に対抗してこれからリテイル店舗が生き残っていくには接客業の基本に立ち戻ったキメ細かいサービスで差別化をはかっていくことが欠かせないようです。

 

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ルートチェック中の北田氏(余市岳)

カラファテ時代の北田さんはテレマーク愛好家の全国的人気イベント「てれまくり」を企画し年次イベントに育て、お店ではテレマークスキー教室やクライミング教室、山スキーツアーなどを毎シーズン開催していました。海外ツアーの経験も豊富で、アラスカ・マッキンレー山でもスキー滑降を果たしています。技術書やガイドブックなど著書から山岳雑誌などへの投稿記事、今流行りのバックカントリースキーのレジェンド(伝道師)といえる人でした。こういう人が山のお店に行けば優しく丁寧に対応してくれるのですからこんなに嬉しいことはありませんでした。北田さんとそのスタッフがつくり上げたユニークな専門店としてのカラファテはこれからも山好きの人たちに支えられて北田さんのスキーや山に対する思いが受け継がれていくことでしょう。

 

ライミングで有名になった小川山の開拓期、クライマー達が集い夜遅くまで宴会が続いた廻り目平のキャンプ場、流行り始めたファミリーキャンパーといさかいもありました。「静かにしてくださいよ」と注意を促す一般キャンパーに「ここはクライマーのキャンプ場だよ。これから夜が更けてもクライマーがどんどん来てうるさいよ」 いさかいがエスカレートしてくれば北田さんが「まあ、まあ、仲良くやりましょうよ」と中を割ってたしなめてくれるのでした。北田さんは今時、携帯電話はもとよりスマホも必要ないと、ただ便利なだけで余計な最新テクノロジーを拒否してきた頑固者でしたが、テレマークスキーでは不安定な革靴/細板を支持しながら目的に応じてNTNや75ミリを付け替えて楽しむという柔軟性も持ち合わせていました。

 

私が最後に北田さんと山行を共にしたのはコロナ渦直前の北海道余市岳でした。一緒にツアーに来た友人たちはなぜか登頂を諦め、北田さんと二人だけの頂上になりました。私は長年の海外生活で同行した山行はほんの数えるほどですが、最後に二人で登って滑り降りてこれたのはほんとに楽しい思い出です。歳をとれば周りの知り合いが少しずつ逝ってしまうのは当たり前のことなのですが、やはり心底寂しいものです。

 

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