アウトドアジジ

2分で読める? アウトドアのアクティビティ、道具、自然に関するブログです。

カリフォルニアホーリー(トヨンの赤い実)

不運な雑木


野山で見られる木々や草花の中にはその美しさにも関わらず不運にもあまり注目されずただの雑木、雑草として扱われている植物は少なくありません。カリフォルニアの野山によく見られるトヨンと呼ばれる低木もその一つです。クリスマスのこの時期、たわわに実る赤い実(トヨンベリー)はとても美しいのです。

 

トヨンは園芸用のピラカンサスによく似た植物なのですが、カリフォルニアのネイティヴプラントです。春から夏にかけて白い花を咲かせ、秋から冬に真っ赤な小さな実を枝にたくさんつけます。クリスマスの飾り付けによく使われる西洋ヒイラギ(クリスマスホーリー)は有名なのですが、トヨンはそれに似てその鮮やかな赤い実でカリフォルニアホーリーとも呼ばれています。ハリウッド(ホーリーウッド)の地名は付近で多く見られるトヨンにちなんだものといわれています。昨冬は雨がたくさん降ったので花もたくさん咲き、実も豊作となりました。

 

 

これほど鮮やかにたくさん実って野山を彩っているのに、メディアやSNSに注目されて取り上げられることはありません。注目を浴びないのは人々のただの無関心かもしれません。日本人的感覚からすれば、近隣の公園などでは「トヨン祭り」などというものが催されても不思議でない気もします。公園のホームページやパンフレットなどにも登場することはありません。

 

 

もともと殺風景な南カリフォルニアの自然、数年に一度ほど満開となって野山を覆い尽くすカリフォルニアポピーぐらいしか人々は関心を示しません。1年の大半は薄茶色に枯れわたっている季節変化のない景色に、当然ですが誰もが無関心なのです。例えどんなに多くのトヨンの赤い実がなっていようが人々の目が枯れ草の野山に向かうようなことはありません。そういう意味ではハリウッドの名前がこの植物に由来しているなどということは奇跡とか思えないのです。

 

四季の変化があって寒くなったり暑くなったりするからこそ自然の様子に人々の目が向きます。季節の移ろいによって日本人の繊細な心が育まれ、微妙な季節の変化にも敏感になれるわけです。不運にも注目されることのないトヨンの赤い実を見て、この地をハリウッドと呼ぼうといいだしたのは、ひょっとしたらその繊細な日本人の心を引き継いだ日系移民かもしれませんね。

 

 

山岳雑誌

買われる理由


スマホやネットの時代になって紙の媒体は衰退の一途をたどっています。それでも登山や山歩きをする人にとっては毎月発売される山岳雑誌が気になって仕方がないという人が今でもたくさんいるはずです。ヤマケイやガクジンなどの古くから親しまれてきた山岳雑誌は単なるガイド本に終わらず、広く山の文化やコミュニティ、業界のトレンドなど、初心者からベテランまで毎月山の様々な情報をしっかりと伝えてきてくれます。

 

中学生の頃、初めて購入した山岳雑誌の表紙は今でもはっきりと記憶に残っています。10月号のその表紙は望遠レンズで捉えた紅葉の黒部下ノ廊下水平歩道を歩く登山者の姿でした。こういう凄い所が日本にあるんだと大いに感動したものです。雑誌の終わりの方には山岳会の募集広告がたくさん掲載されていて、中学生でも入会させてくれる会はないものかと興味本位で目を通したものでした。

 

スマホやネット時代の今でも山岳雑誌が広く読み続けられている理由は、いつの時代でも日本の山を四季を通じてしっかりと楽しみたいという山好きの人たちが絶えないからです。若い世代から高齢者まで、山を始めたらとにかく1年間は毎月発売される山岳雑誌から目を離すことはできません。日本に四季があるからこそそれぞそれの季節に登り方があり、その様子を探っていかなければなりません。日本の季節に合わせてタイムリーに毎月新刊が発売される山岳雑誌の魅力はそこにあります。

 

ネットでは確かに素早く最新の情報を手に入れることができますが、同時に古い情報も混在していてその判断が難しくなります。何年も前のブログ記事などの情報があたかも数時間前にアップされたように混在しています。雑誌の場合は新刊が発売されればそれが最新であること、その最新情報が入念なマーケティング企画によって毎月更新されるわけです。そしてデータではなくフィジカルな物質として手にとって楽しむことができるのです。

 

確かに便利なネット情報なのですが、断片的に散在する情報を自分で見つけ出しまとめていく作業はとても骨が折れることも事実です。最新の山岳雑誌を一冊購入すればとりあえずは必要な情報が季節に合わせて鋭くまとめられているのです。初心者からベテランまで今でも毎月新しい山岳雑誌を楽しみにしている人が絶えないのは四季が豊かな日本の山だからこそです。

 

 

道具で上達

ゴルフクラブの謎


私はゴルフをやらないのですが、ゴルフ好きの知人が新しいゴルフクラブの話で盛り上がっていました。通常の物とは値段が大幅に違うクラブで値段差以上に確実にゴルフが上手くなるということでした。そんな訳はあるはずはないとゴルフマニアとそのスポーツの安直さを軽蔑したのもでした。ところ気が付けば山やスキーの道具にも同じことがいえるのでした。

 

私はテレマークスキーという古典的なスキーをもう何十年の楽しんでいるのですが、その道具の進歩と遍歴は激しく、古くて使いにくい道具は次々と淘汰されていったのでした。スキーブーツは革製からプラスチックへ、スキー板はどんどん太くなり、ビンディングはブーツを固定するシステムがすっかり変更されてしまいました。それによって技術は確実に進歩しゲレンデのカチカチのバーンを高速カービングで滑降したり、腰まで埋まる悪雪を自在に滑れるようになりました。ゴルフクラブのように確かに道具によって技術が向上したのでした。

 

それでは古い道具は完璧に過去の遺物となって忘れ去られたのかというとテレマークスキーの場合は事情が違います。実は古い道具にはそれなりの有効性が有り、その道具でなければ楽しめないことも多いのです。そのための技術を習得するのは容易ではありませんが、あえてそれに挑戦する人や苦労の末にそれを獲得した人たちが自己満足(?)でそういう古いスタイルの道具を使い続けているのです。

 

ライミング用の専用靴では岩に吸い付く新しいゴム底が開発されると難易度を示すグレードが一段下がったりしたものです。ただこの時はクライミングの面白みを半減させるからなどといって使用を拒む人は皆無で皆んな一斉に新しい靴を買い求めたのでした。どうやら古い道具には細々と生き残るモノと完全に消え去ってしまうモノがあるようで、同じクライミングの道具でもプロテクションに使う古典的なナッツ類が革新的なカム類に完全に入れ替わってしまうようなことはありませんでした。

 

伝統的な道具によってしっかりと確立された古い遊び方は新しい画期的な道具によって忘れ去られてしまうことはありません。どんなに軽量で快適なテントや調理器具が登場してもタープと焚き火のキャンプを楽しむ人がいます。ゴルフクラブのように金を出せばたやすく上達できる道具も嬉しいのですが、そういう道具で本来の遊びの楽しみを忘れてしまうと本末転倒です。

 

 

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フリーソロ

アディクション



ライミングを始めて少しずつ 自信をつけてくると挑戦したくなってくるのがフリーソロです。フリーソロはロープなど安全を確保するための道具をいっさい使わずに大岩や岩壁を一人で登るクライミングスタイルです。例えどんなにヘボなクライマーでも一度は憧れてしまうのがフリーソロなのです。

 

数年前にヨセミテの大岸壁をロープも付けずにフリーソロをするエリートクライマーの映画が話題になりました。一般スポーツ(クライミングはオリンピックに採用されましたけど)ならオリンピックの金メダリストのようなクライマーが為せる偉業です。とはいえ凡人でも、岩登りのゲレンデやちょっと大きなボウルダーでフリーソロの真似事に挑戦した人も少なくはないはずです。能力の7、8割ぐらいのレベルで味わうことのできるフリーソロの緊張感はある種の中毒依存症状も自覚してしまうのです。

 

私は山登りを始めた頃はどちらかというと高所恐怖症でした。初めての本格登山で八ヶ岳の鎖場を見上げた時は足がすくんだものです。穂高滝谷のドーム登攀では岩登りはもういいと思いました。それがどういう訳か足元が切れ落ちた高い所が気にならなくなり、ミスをすれば大怪我が免れない困難な大岩や、易しいけど堕ちれば確実に死ぬマルチピッチルートを何回かフリーソロしたことがあります。若気の至りといえばそれまですが、その緊張感や満足度で確かにまた挑戦したいという誘惑にかられてしまうのです。中毒依存症状を自覚し始めるのです。

 

恐ろしいことも慣れてしまえば快感になってしまうという現象は心理学的に証明されているのかもしれませんが、怖さに対する警戒や緊張、それを克服した時の達成感に大いに満足してしまうことがあるようです。そしてそういう高揚感が病みつきになってしまいどんどんエスカレートしてしまう危険性があるのです。これはクライミングばかりでなく困難な登山や高齢者登山にも共通しています。自分の実力をしっかりと把握して取り返しのつかない事故を防いでいくことが大切です。身の丈に合った行動が必要なのですが、チャレンジと向上が山登りを楽しくしているのも事実ですよね。困ったものです。

 

 

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筑波山

ガマの油

 

関東の名峰といえば筑波山ですよね。古くは万葉集にも読まれ、田園風景の中に独立峰のようにたたずむその姿は太古の時代から常陸の国に暮らす人々に親しまれてきました。小学校の低学年、遠足で登った人生初めての山でした。

 

私が入学した小学校では筑波山の遠足が定例行事でした。近所の年上の悪ガキたちは筑波山で買ったというガマガエルのマスコットを皆んな持っていて、それを見せびらかし私はとても羨ましく感じたのでした。普段はお小遣いも貰えない田舎の貧乏な子どもたちです。特別に遠足だからといって貰った小銭で買ってきた手のひらの乗る小さなマスコットでした。私もこれが欲しくて筑波山の遠足が楽しみで仕方なかったのでした。

 

筑波山はなぜガマガエルなのかというと、江戸時代に山麓の村に住む男が江戸に出て巧みな口上でまがい物の妙薬を売り始めたことに起源があるようです。鏡を貼った箱に筑波山に生息するという四六のガマを入れると、その自らの醜さにおびえ脂汗を流し、それを集めて妙薬 (ガマの油) に仕立てたという口上です。映画の寅さんのように軽快な語り口で聴衆を引き付けるその口上は古典落語にも引き継がれ、つくば市無形文化遺産にも認定されているそうです。

 

筑波山といえばガマガエル

筑波山登山といっても小学校の1年生か2年生です。はっきりとは覚えていませんがケーブルカーを利用したようです。日本が絶好調の高度成長期、東京オリンピックの頃ですが筑波山のケーブルカーはなんと大正14年からの営業だそうです。ちなみにロープウエイの方は昭和40年からの営業で当時はまだなかったのかもしれません。山頂の広場に開けた斜面にはジュースの空き缶が大量に投棄されていて、今から思えば世界史上でも類まれな高度成長を遂げた日本の象徴だったようにも思えてくるのです。

 

土産物屋ではガマガエルのマスコットと一緒に天然色の絵葉書も購入しました。それには「弁慶の七戻り」という大岩がはさまった奇岩の写真があって、こんなのなかったと大きく失望したのでした。登山コースを辿って自分の足で登らないと拝めない奇岩なのです。他にも大仏岩やガマ石など低山には珍しく巨岩が多く、つい最近まではボルダリングや岩登りのゲレンデとして人気があったようです。

 

そんな筑波山ですが10年ほど前に再来したことがあります。山頂の土産物屋では50年以上も昔に小学生の私が買い求めた物と同じガマガエルのマスコットが売られていました。この時もただ車で立ち寄っただけなので「弁慶の七戻り」はまだ拝めていません。

 

 

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友達がフレンド

お餞別

 

山登りに使う様々の道具は昔からけして安価なものではなかったのですが、その中でもクライミングに使うカム類はとても高価です。どうしようも無いのがその使い道でクライミングにしか使えないのです。クライミングをやめてしまえばただの鉄クズ(アルミですけど)で、多くの山道具が普段の生活でも役に立つのと大違いです。そういう無意味で高価なフレンドというカムをセットで私が海外に出ていく時に餞別としてくれた友人がいました。

 

旅立つ人にわたす餞別というのは贐(はなむけ)のことで、むかし旅人が使う馬の鼻を旅先の方角に向け道中の安全を願ったことが発端だそうです。当時の感覚で餞別は1000円や2000円程度が妥当で、店先で買おうか買うまいか悩んでいた私にセットで何万円もするクライミングカムを餞別として買い与えてくれたのでした。「今月は金がないから山行はキャンセル」と時々同行を断る金欠病のその友人にとっては大きな痛手にあったに違いありません。「向こうでも登るんだろ」といって嬉しい贐を差し出してくれたのでした。

 

フレンドはクライミングカムの元祖で、その発明は正にノーベル賞クラスです。ヨセミテのエリートクライマーであった開発者は当初そのプロトタイプを上着の下に隠し持って最難ルートの開拓に挑んだといわれています。滑り止めのチョークでさえ問題視され倫理の厳しかった当時のクライミングシーンでは、容易くプロテクションがとれるクライミングカムは岩登りの冒険心を脅かし、その魅力を半減させる邪道な道具だと多くの人が考えていました。

 

とはいえ、人々は一度その道具を使ってみればその便利さに驚愕し即座に購入に踏み切ってしまうのでした。「一番信用できるのはやっぱりボルトだよね」今では危なくて使えないリングボルトでさえ最大の信用を得ていた当時、岩の割れ目にはめ込むだけのナッツ類は日本のぼろぼろの岩場に受け入れられることはありませんでした。ところがクライミングカムはその利便性、多様性であっという間に日本のクライミングシーンに普及してしまったのでした。

 

今では多くのクライミングメーカーが様々なカムを製造販売していて、伝統的なクライミングに挑むための必携の道具となっています。友人が餞別としてくれたクライミングカムは無くしたり、回収不能となったりして数が減ってしまいましたが、未だに現役として使用が可能です。カムを支えるシャフトは棒状のリジット式で、ワイヤー式が一般的になった今ではレトロ感は拭いきれませんがその有用性は健在です。

 

せっかく友人が泣きなしの金をはたいて餞別としてくれたカムですが、クライミングに行く機会もそれほど多くなく使い倒すほどの使用はできませんでした。久しぶりに道具箱を開けたりしてみればそういう懐かしい思い出が蘇ってくるのでした。

 

 

*だんだんネタが無くなって重複してしまいましたが、以前にもこんなのを上げていました。

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オオツチグモ

ハロウィーンの主役


以前はほとんどの日本人が知らなかったハロウィーンというお祭りですが、今では若者たちが奇抜な仮装をして大騒ぎをする秋の一大イベントとなっています。ハロウィーンのもう一つの楽しみはオバケで、近くのテーマパークでは毎年この時期になると広い敷地全体が盛大なお化け屋敷となって多くの来場者を迎えます。気味の悪いゾンビやモンスターとともに飾り付けに欠かせないのが黒い大蜘蛛です。

 

夏も終わり日も少し短くなった夕方に裏山などを散歩していると必ず出くわすのがこの黒い大蜘蛛タランチュラです。多い時は10匹くらい道のあちこちで見かけることがあります。じっと立ち止まっていたり、軽快に長い脚を動かして歩き回ったりしています。初めて出くわせば確かに恐ろしいハロウィーンにふさわしい大蜘蛛で驚いてしまうのですが、見慣れるとなんとなく可愛らしくカッコ良い生き物に見えてきます。

 

 

スパイ映画で寝ている主人公の胸の上を這い回る毒グモという印象が強いタランチュラですが実は大した毒は持っていないそうです。手に這わせて拾い上げたりする人もいます。それでも腹部の刺激性のある細かい毛を飛ばすことがあって、それが皮膚に刺さったり目に入ったりするとちょっと面倒な事になってしまいます。こちらの子どもたちは蜘蛛がとても苦手で、大人でも刺されるのではと怖がる人が多いです。それもそのはず猛毒のブラックウイドウ(クロゴケグモ)が家のまわりにたくさん生息しているからなのです。

 

タランチュラはおとなしい習性なのでペットとしても人気があります。種類も多く鮮やかな色が特徴の種もあります。おまけに寿命が長くてメスなら10年以上つきあえます。餌も毎日頻繁に与える必要がなく比較的に簡単に飼育ができるようです。相場はどうやら日本では5千円くらいからのようですね。怠惰な私でも飼えそうですが、今頃の季節なら散歩やジョギングでいつでも出会えるのでそれで十分満足してしまいます。それにしても軽快に歩き回るその姿はとてもカッコ良いのです。
midoriiruka.hatenablog.com

 

(参考記事)magazine.cainz.com

blog.hatena.ne.j

 midoriiruka.hatenablog.com

 

midoriiruka.hatenablog.com